notes

公園ができました

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人生で初めて公園のオープニングに立ち会いました。
その公園はちょっとだけ変わっていて、森の中の私有地につくられた民営であること、そしてみんなで場を育てていくことを前提としていること。自分たちで公園をつくろうという人たちがいて遊具が欲しいという依頼の話を聞いた時は正直戸惑ったけれど、よくよく話を伺うと自然と親しむ為の共有スペースにしたいという素朴な話で、なるほどそれなら出来そうだし僕の家の近くにも欲しいなとむくむくイメージが膨らみました。
提案したのは杉丸太のジャングルジム。最長6mの丸太を積みあげて、素材そのまんま素直だけどなかなか体感したことない存在として丸太がそこにいます。ぜひ触れてつかまってぶら下がってもらいたいです。
それから公園各所にある看板は、沖縄生活していたころに出会ったBEBICHIN*ARTさんに依頼してなんとも可愛い傑作ができました。そんなBEBICHIN*ARTさんが去年に引き続き、今年も小国町の内緒スポット「うね」にて展示会開催します。こちらも是非遊びに来てください。

「コミュニティー公園 下鶴」
熊本県阿蘇郡南小国町下鶴
https://goo.gl/maps/SwqnS4b2oJM2
みんなであそびをつくるこうえんです。じぶんたちでよくかんがえてけがをしないようにちゅういしてのびのびとじゆうにあそんでください。

うねのちょっこり二人展
https://uneenu.wordpress.com/2017/07/12/%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%93%E3%82%8A%E4%BA%8C%E4%BA%BA%E5%B1%95/

あなたが落とした斧は

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あなたが落とした斧は金の斧?銀の斧?
それともこの極上の刃金の斧かい?

薪ストーブを使い始めて三年。さすがに手斧では太刀打ちできない丸太を前に、斧を買うならここと決めていた町内の川述鍛冶屋さんを訪ねる。刃物専門で70年(本当!?)やってきたが数年前に足を悪くして以来作ってないらしく、貴重な在庫の刃を分けていただく。やや興奮気味に斧の扱い方を全身全霊でレクチャーしてもらい、まだ十分可動する機械の説明を頂く。実際の鍛冶加工を見たことがなく正確には把握出来なかったけれど、分かる人にはたまらない宝石箱のような世界が広がっていました。

物に溢れているものの、本当のモノを見る知る機会が激減しているご時世。作り手さんから「どうだ」と手渡されるこの感じ。ほんとリア充です。いやーいい買い物させてもらいました。

3年目の蒸気

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旧正月あけましておめでとうございます。

早いもので小国町に移住して3年が経ちました。この3年間で暮らしかたにいろんな形の変化があり、人生の中でも大きな「チェンジ期」だったのではないかなと思います。今となっては日常の三点セットになっている「温泉・薪ストーブ・畑」のある暮らし、普通のことのようでなかなかない有難い環境に住まわせてもらっているなとつくづく感じます。

「縄文から弥生へ」という壮大なテーマが気になりだして、定住・稲作・家畜・竪穴式住居・高床式倉庫などなど現代訳で読み替えてみるとなかなか面白いイメージが広がります。吉野ケ里遺跡も住宅展示場のような気分で見学してきました笑。次の3年間はこれからの暮らしを見定めていくための「レッスン期」となるよう少しづつ実践していこうと思います。

本年もどうぞ宜しくお願いします。

散歩のすゝめ

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とくに趣味のない私の楽しみは「散歩」かもしれない。知らない土地や懐かしい場所に着くと時間のかぎり永遠と歩いてしまう。散歩は気晴らしにいいと言われるけれど、歩くうち次々と新しい風景や不思議なものに出会い気が安らぐどころか、妙に冴えてきて良い刺激をもらうことの方が多い。

先日、小国町内をぶらぶらしていると写真の倉と出会った。この辺りではよく見かける浮屋根の倉だが、本来漆喰塗りであったであろう壁面が全てトタンで仕上げられている。補修の際に新しい技術でコストも低い大量生産製品に取って代わられたのだろう。しかし注意してよく見ると、壁頂部の見切りや曲面の細工などはオリジナルを忠実になぞって再現してあり、なんとか物を作りだそうとする熟練の技と野心が伝わってくる。このような新たな「本物」とでも呼ぶべき非凡な知性が、散歩中の風景の中にはごくごく控えめに溶け込んでいるから気が抜けない。

先日、3年9ヶ月ぶりに沖縄に行った。とてもお世話になった建築の大先輩の葬儀に出席し、あとはずっと散歩のような状態だった。一度離れた土地を客観視するように努力したものの、おおらかな環境風土と、生活感あふれる雑多さはあまり変わらない印象だった。それは亡き大先輩から教わった「風土が建築をつくらせる」ということの現れなのだろう。大事なことを教わりました。

みなさま今年もいろんな場面で大変お世話になりました。また来年もゆっくり散歩に出かけますのでその時はご一緒に宜しくお願いします。

時間と建築

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先日、熊本現代美術館で開催中の「ジブリの建造物展」に行ってきました。この企画は歴代ジブリ作品に登場する建造物を立体再現し、舞台の時代背景や生活環境を紐解いてみようというもの。ジブリ好きな娘の興奮ぶりにも負けず劣らずハマる父、すっかり時間を忘れて親子で夢中になれた良い展示でした。
特に建築史家・藤森照信さんによる解説が素晴らしく、日本本来の和的なものを「無意識」と定義して、洋館のような外来のものを異質なものとして「意識」的に表現したのではないかと。例えば「トトロ」のなかでトトロやマックロクロスケのような妖的なものは、無意識の時空間に住み着いた日本人の記憶のようなものとして、縁の下や五右衛門風呂に現れる。一方、メイとサツキのお父さんが研究する考古学は明治以降近代の学問で、書斎の部屋のみ洋館風に増築されている。他の作品でも和洋織り交ぜたり、時代背景を歪ませたりと、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界観をジブリは意識的に作り出したのだと藤森さんは解説している(はず)。その歴史・文化に対する洞察力とうんちくの量をまえに、もし生まれ変わったら建築史を一から学ぼうと心底思うのでした。

藤森さんといえばユーモラスな建築で知られてます。最寄りにある大分県竹田の「ラムネ温泉館」を訪ねた時の事です。こちらもユーモラスな外観と自然素材を使い、非常にフレンドリーな建築なのですが、特に湯船が素晴らしかった。それはオープンから10年とは思えないほど古びて使い込まれた感じのするものでした。黄土色に変色し丸みを帯びた漆喰の湯船に浸かると、昔からそこにあった秘湯に入ったような感覚。藤森さんは意識的に時間を味方につけて、無意識の空間を作っているのだと理解しました。藤森さんの友人達で構成される「縄文建築団」というセルフビルド集団と一緒に内外装仕上げ作業することも、不完全さによるズレ・歪み・手直しといった一見長い年月を経たかのような時間のいたずらを内包するねらいがあったのかもしれません。

スタジオムンバイの建築家ビジョイ・ジェインも同じような思想を持っていました。敷地の境界に人の背丈ぐらいの石積みの壁を作るときに、コンクリートを使わず土を詰め積み上げろと言います。モンスーンの時期でしたので次の日には崩れ、積み上げてはまた崩れ、同じことの繰り返しの様ですが、徐々にきちんと強く積み上がり、隙間には植物が根を張り始めました。完成するころには随分古くからそこにあるようなものになりました。今でも崩れては積み上げを繰り返して一層遺跡のようになっていることでしょう。

伸び縮みする時間をどのように扱って建築に内包するか、面白いテーマです。