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3年目の蒸気

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旧正月あけましておめでとうございます。

早いもので小国町に移住して3年が経ちました。この3年間で暮らしかたにいろんな形の変化があり、人生の中でも大きな「チェンジ期」だったのではないかなと思います。今となっては日常の三点セットになっている「温泉・薪ストーブ・畑」のある暮らし、普通のことのようでなかなかない有難い環境に住まわせてもらっているなとつくづく感じます。

「縄文から弥生へ」という壮大なテーマが気になりだして、定住・稲作・家畜・竪穴式住居・高床式倉庫などなど現代訳で読み替えてみるとなかなか面白いイメージが広がります。吉野ケ里遺跡も住宅展示場のような気分で見学してきました笑。次の3年間はこれからの暮らしを見定めていくための「レッスン期」となるよう少しづつ実践していこうと思います。

本年もどうぞ宜しくお願いします。

散歩のすゝめ

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とくに趣味のない私の楽しみは「散歩」かもしれない。知らない土地や懐かしい場所に着くと時間のかぎり永遠と歩いてしまう。散歩は気晴らしにいいと言われるけれど、歩くうち次々と新しい風景や不思議なものに出会い気が安らぐどころか、妙に冴えてきて良い刺激をもらうことの方が多い。

先日、小国町内をぶらぶらしていると写真の倉と出会った。この辺りではよく見かける浮屋根の倉だが、本来漆喰塗りであったであろう壁面が全てトタンで仕上げられている。補修の際に新しい技術でコストも低い大量生産製品に取って代わられたのだろう。しかし注意してよく見ると、壁頂部の見切りや曲面の細工などはオリジナルを忠実になぞって再現してあり、なんとか物を作りだそうとする熟練の技と野心が伝わってくる。このような新たな「本物」とでも呼ぶべき非凡な知性が、散歩中の風景の中にはごくごく控えめに溶け込んでいるから気が抜けない。

先日、3年9ヶ月ぶりに沖縄に行った。とてもお世話になった建築の大先輩の葬儀に出席し、あとはずっと散歩のような状態だった。一度離れた土地を客観視するように努力したものの、おおらかな環境風土と、生活感あふれる雑多さはあまり変わらない印象だった。それは亡き大先輩から教わった「風土が建築をつくらせる」ということの現れなのだろう。大事なことを教わりました。

みなさま今年もいろんな場面で大変お世話になりました。また来年もゆっくり散歩に出かけますのでその時はご一緒に宜しくお願いします。

時間と建築

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先日、熊本現代美術館で開催中の「ジブリの建造物展」に行ってきました。この企画は歴代ジブリ作品に登場する建造物を立体再現し、舞台の時代背景や生活環境を紐解いてみようというもの。ジブリ好きな娘の興奮ぶりにも負けず劣らずハマる父、すっかり時間を忘れて親子で夢中になれた良い展示でした。
特に建築史家・藤森照信さんによる解説が素晴らしく、日本本来の和的なものを「無意識」と定義して、洋館のような外来のものを異質なものとして「意識」的に表現したのではないかと。例えば「トトロ」のなかでトトロやマックロクロスケのような妖的なものは、無意識の時空間に住み着いた日本人の記憶のようなものとして、縁の下や五右衛門風呂に現れる。一方、メイとサツキのお父さんが研究する考古学は明治以降近代の学問で、書斎の部屋のみ洋館風に増築されている。他の作品でも和洋織り交ぜたり、時代背景を歪ませたりと、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界観をジブリは意識的に作り出したのだと藤森さんは解説している(はず)。その歴史・文化に対する洞察力とうんちくの量をまえに、もし生まれ変わったら建築史を一から学ぼうと心底思うのでした。

藤森さんといえばユーモラスな建築で知られてます。最寄りにある大分県竹田の「ラムネ温泉館」を訪ねた時の事です。こちらもユーモラスな外観と自然素材を使い、非常にフレンドリーな建築なのですが、特に湯船が素晴らしかった。それはオープンから10年とは思えないほど古びて使い込まれた感じのするものでした。黄土色に変色し丸みを帯びた漆喰の湯船に浸かると、昔からそこにあった秘湯に入ったような感覚。藤森さんは意識的に時間を味方につけて、無意識の空間を作っているのだと理解しました。藤森さんの友人達で構成される「縄文建築団」というセルフビルド集団と一緒に内外装仕上げ作業することも、不完全さによるズレ・歪み・手直しといった一見長い年月を経たかのような時間のいたずらを内包するねらいがあったのかもしれません。

スタジオムンバイの建築家ビジョイ・ジェインも同じような思想を持っていました。敷地の境界に人の背丈ぐらいの石積みの壁を作るときに、コンクリートを使わず土を詰め積み上げろと言います。モンスーンの時期でしたので次の日には崩れ、積み上げてはまた崩れ、同じことの繰り返しの様ですが、徐々にきちんと強く積み上がり、隙間には植物が根を張り始めました。完成するころには随分古くからそこにあるようなものになりました。今でも崩れては積み上げを繰り返して一層遺跡のようになっていることでしょう。

伸び縮みする時間をどのように扱って建築に内包するか、面白いテーマです。

火のある暮らし

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冬の足音が聞こえてきた今日この頃。

朝夕は肌寒いし、煮込み料理が美味しく感じる季節。薪ストーブに火を入れる機会が徐々に増えてきたこともあって、近所の森で枝打ちされた杉の枝を利用して囲いを作ってみた。思いのままに作ってみたらなんとも無骨な恰好になったけれど、「大地の産物」といった感じで見るたびに気に入ってきた。何にでも興味があるお年頃の息子もこれでは手も足も出せまい。

最近薪ストーブの勉強をすすめるにつれて、我が家の薪ストーブのチープさが悲しくなり、分厚い鉄板を溶接した薪ストーブを町工場で作ってもらうことを妄想している。朝まで熾きがゆっくり燃えて、ピザも焼けるオーブン付き薪ストーブ。そんなぬくぬくと過ごす日が来るのを夢見て、夜な夜な設計を進めるのです。お猪口片手に。

かぼちゃの実はどこになる

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収穫の秋。うちの畑でも野菜たちが食べごろを迎えている。

おやおや、このかぼちゃは木に実ってるぞ。
通常かぼちゃというものは畑中にどこまでもツルを伸ばし、ほかの野菜に覆いかぶさってしまい手に負えなくなる。しかしこのかぼちゃ、梅の木に巻き登り、そこらにぶらんと実らせている。これは人為的に手を加えたものではなく、極々自然にかぼちゃの意思のままに育った結果である。場所をとらずコンパクトかつ収穫しやすい合理的な成長。これぞ共存共栄のかたち。

このプロセスの中で特に重要なのが「許す」ということかと思う。梅の木に巻きヒゲを伸ばした始めたとき、ツルをぐるんと巻き付けたとき、青々とした葉が生えてきたとき。各段階で手を加えるのをぐっとこらえて、彼のことを許す。見守る。自分の意のままに行かぬこともあるけれど、ひとまず「許す」の先にはこんな光があるのかと、日々学びがありますね。丸い穴に四角の積み木を入れようとしている息子にはどんな光があるのやら。

小国収穫祭

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僕の住んでる小国町で話題沸騰中の「小国収穫祭」。
ズべさんこと藤本髙廣さんが小国町に長期滞在し、町内から集められた鉄くずを立体作品に組み立てて、町内各所に展示するというアーティストインレジデンス企画。
毎日入っている山川温泉共同浴場にも「山川湯タカ」なる愛嬌たっぷりの作品がやってきました。この作品よくよく見れば、農具や古ぼけた暮らしの道具で出来ていて、土地の営みや時間の積み重ねがギュッと織り込まれています。何だか分からない謎のパーツもあったりして、年配者たちの憶測トークが湯船で展開されるかと思うとしばらく楽しみであります。小さな楽しみ盛りだくさん小国町。
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「小国収穫祭」
坂本善三美術館シリーズアートの風Vol.6/藤本髙廣のくず鉄魂・地産地生
開催期間 9月9日~10月30日
開催場所 坂本善三美術館を中心に小国町内各所
観覧無料
#小国収穫祭

あらためましてご挨拶です。

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私、2016年4月より建築事務所「たねもしかけも」を始めました。

これまで建築設計事務所~インド建築集団~建築施工会社と勤務してきて、建築がどれほど多くの人の関わりによって成立しているか知り、いわゆる「独立」の願望はほとんどありませんでした。建築は私たちのまわりにいつもあり、だれもが関わりながら暮らしています。そのことをもっとはっきりと実感し、愛着を深めていける状況を広げたいという思いが高まり、フリーランスとして活動することにしました。事務所として出来る仕事の範囲を曖昧にすることで、線引きなく横断的に建築への関わり代を広げることが出来ないか、そんなことを考えています。時にはみんなで一緒に作業します。石を積んだり、木を植えたり。森の勉強をしたり、ピザを焼いたり、映画を観たり。そんな体験の積み重ねを一緒にしませんか。

この夏、いくつか旅をしました。魅力的な土地・人・出来事と出会いました。まだ知らない素晴らしい世界がある。こういうとき頭のどこかで自分の住む環境と比較しています。また、僕の住む町を訪ねてきた友人と近所をゆっくり巡りました。見慣れた風景・食べもの・温泉が新鮮に映ります。そして僕の住む環境は素晴らしく豊かであると改めて気づきました。しっかり意識しながら日常を暮らすこと。このことは大きな気づきです。上の絵はそんなことを微笑みながら教えてくれている気がします。さあ、冬に向けてこつこつと準備を始めよう。

絵:「トゥリアの虹」 BEBICHIN ART